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大阪高等裁判所 昭和43年(う)809号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕よつて案ずるに、<証拠>を総合すると、被告人は昭和四一年九月七日午後三時ごろ、本件バスを運転北進して、大阪市城東区蒲生町四丁目一番地先にある信号機によつて交通整理の行われている交差点にさしかかり、対面信号機の青色燈火に従い、同交差点に進入して、西に向け左折しつつ同交差点西詰横断歩道の手前(東側)まで進行したとき、その横断歩道上を北から南に向つて歩行中の数名の横断者の一群(この中に被害者押谷淳子((当時四才))もいたものと思われる)を認めたので、右横断歩道の直前で一時停止して、右横断者らの通過を待ち、右横断者らが自車の前を左方(南方)へ通り過ぎたので、さらに横断者の有無を確認するため、右方を見たところ横断者がなく、続いて左方を見るとさきほどの横断者が殆んど南側歩道上に上つていたので、安全に進行しうるものと判断し、左ヘハンドルを切りながら発進したところ、間もなく「どん」というあまり大きくない音がしたので、サイドミラーを見たが何も見えなかつたためそのまま前進したところ、「きやー」という声とさらに「とめて」という声がしたので、ブレーキを踏んだが、間に合わず、自車左後車輪で前記押谷淳子を轢過し、因つて同日午後三時四分頃、原判示東大阪病院において同幼児を脳挫滅により死亡するに至らせたことを十分認めることができる。

そこで、右押谷淳子を轢過したことが被告人の過失に基因するか否かについて考察する。

先ず、被告人が前記横断歩道の手前(東側)を発達するに際し、十分注意義務を尽したか否かについて検討するに、前記認定のごとく、被告人は右横断歩道の手前で一時停車した後、北から南に向つて歩行中の数名の横断者の一群が通過するのを待ち、右一群が自車の前を左方(南方)へ通り過ぎたので、さらに横断者の有無を確認するため、右方を見たが横断者がなく、続いて左方を見ると横断者が殆んど南側歩道上に上つていたので、安全に進行しうるものと判断し、左ヘハンドルを切りながら発進したものであることは明らかであるが、<証拠>によれば、被害者押谷淳子の父押谷達弘は、本件横断歩道を北から南へ横断したとき、長男充啓(当時一才)を抱いていたし、母押谷久子は、少なくとも右横断歩道を歩き始めたときは、左手で右淳子の右手を握つていたことが認められるのにかかわらず、<証拠>によれば、被告人は押谷達弘が抱いていた充啓及び押谷久子が手を引いていた被害者淳子等の存在に全く気づかなかつたことが認められるし、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、被告人は前記発進するにあたり、バックミラー及びアンダーミラーによつて、自車の直前及び左右後方等の安全を確認しなかつたことが認められる<反証排斥>のであつて、以上認定の各事実によれば、被告人が前記発進にあたつてなした安全の確認は甚だ不十分なものであつて、未だ自動車運転者として必要な注意義務を尽したものとは到底認めがたい。

そこで、次に、被告人の右注意義務懈怠が被害者淳子を轢過した原因となつたかどうかについて考察することになるのであるが、もし、歩行または佇立している被害者淳子の身体に本件バスの車体の前部又は側面を接触させて、同幼児を転倒させたうえこれを轢過したような場合には、被告人の前記注意義務懈怠がその原因をなすものとみられうるのであるが、もし万一、同幼児が突然何らかの目的で、自ら本件バスの側方からその車体下部に潜り込んだ結果轢過されたような場合には、幼児がそのような場所にいることはバスの運転者としては予見不能の事態であつて、被告人に前記注意義務の懈怠がなかつたとしても、同幼児の轢過を防止しえないことがありうるのであり、すなわち不可抗力として、前記注意義務懈怠と轢過との因果関係が否定されることもありうるので、被害者淳子の轢過される前の行動ないし同幼児と本件バスの車体との接触の有無及び接触があつたとすればその個所等について検討しなければならない。ところで、被告人が被害者淳子の存在に気づかなかつたことはすでに認定したところであるが、<証拠>を総合すれば、押谷達弘及び同久子は本件横断歩道を横断する際、押谷達弘は長男充啓を抱いて久子より先に歩き、久子はそれより遅れて横断者の一群の最後部を、左手で被害者淳子の右手を握り、淳子よりやや前方を歩いて横断を開始したのであるが、久子は南側歩道まであと二、三歩というところまで来たとき、「淳子がいない」と言いながら、後方を振り向いたところ、折しも久子の後方を通過しつつある本件バスの真中付近の下に淳子が倒れているのを見たこと、押谷達弘はすでに本件横断歩道から南側歩道に上り五、六歩東へ歩いたが、右久子の「淳子がいない」という声を聞き、振りかえつて見ると丁度、本件横断歩道上を徐行中の本件バスの左前車輪と左後車輪との中間に淳子が倒れているのを見たこと、久子は直ちに「停めて」と叫んだが、本件バスはそのまま前進し、左後車輪で淳子の身体を轢過して、その直後停止したこと及び久子は、いつ、どの地点で、どうして、淳子とつないでいた手が離れたか記憶がないことが認められるのであつて、右認定の事実によれば、淳子が久子に手をひかれて本件横断歩道を横断し始めたことは明らかであるが、その後、淳子が本件バスの左前車輪と左後車輪との中間付近に倒れていたときまでの淳子の行動については全く不明であつて、記録を精査しても、この点を確認しうる資料は存しない。もつとも、<証拠>によれば、本件事故の約一時間半後である昭和四一年九月七日午後四時三〇分から同日午後五時三〇分までの間、城東警察署裏庭において本件バスを検査したところ、前バンバー左前部及び左下部並びに車体左前端下縁にそれぞれ指先で擦過したようなほこりのとれた小さな払拭痕があつたことが認められるのであるが、右払拭痕が被害者淳子と接触したことによつて生じたものであるかどうかについてはこれを断定しうる資料はなく、しかも、もし右払拭痕が被害者淳子と接触したことによつて生じたものであるとすれば、淳子が本件バスの左前部に接触して転倒したものと推定しうる有力な資料になると考えられるのであるが、<証拠>によれば、もし四才の幼児を本件バスの前部に接触させて転倒させたとすれば、その左前車輪で轢過したうえ、さらに左後車輪で轢過することも可能ではあるが、それは本件バスがほぼ直進状に進行した場合に限られ、しかも、そのような場合、被害者は頭部をバスの進行方向に対し左前方に位置して倒れる必要があると考えられる。しかしながら、右各証拠によつても、本件交差点を南から西へ左折するバスは格別の事情がないかぎり、本件横断歩道手前(東側)から直進状に進行せず、左側歩道側端の線に添つて左方へ転回しながら進行するのが通例であると考えられるところ、本件バスが直進状に進行すべき特別の事情があつたと認めうる資料は存しないのみならず、<証拠>を総合すれば、被告人も本件横断歩道手前において、本件バスを南北の線に対し約四〇度ないし四五度の角度に停止させ、同所を発進するとともに左へ大きくハンドルを切つて転回しながら進行したものであつて、直進状に進行したものではないと認めるのが相当である。また、被害者淳子が転倒していた角度については、押谷達弘は、司法警察員に対する供述調書においては、「そのバスの前輪と後輪との丁度中頃に頭をバスの下に足を歩道の方にして、うつぶせに倒れている淳子の姿が見えた」旨の供述をしながら、当審においては証人として「私は淳子は自動車の進行方向に頭を向けてうつ伏せに倒れていたように思う。そしてほぼ自動車と平行していたが、ちよつと、はすかいになつて足が歩道の方で頭が内側であつた印象が残つている。警察で述べたのは正確ではない」旨の供述をしている。ところが、証人押谷久子は当審において「私は淳子は頭をバスの後方に向けて、多少斜めになつていたかも知れないが、大体バスの車体と平行にうつ伏せに倒れていたと思う」旨の供述をしており、また、被告人は、司法警察員に対する昭和四一年九月七日付供述調書においても、当審公判廷においても、「車を停止させてから、左側のバックミラーを見ると左側後輪の後方から子供の足を引張つているのが見えた。それで、車を少し前進させて停車し、バスを降りて行くと、さきほどの子供は仰向けに頭を東にして足を西に向けて寝かされていた」旨の供述をしているが、当審公判廷においてはさらに「大体頭が東に足が西に向いていたがわずかに頭は北に足は南に向いていた」旨を付加している。このように各人まちまちの供述をしていていずれとも断定することはできないが、いずれにしても、被害者淳子が頭を本件バスの進行方向に対し、左前方に位置して転倒したことを裏付けるものではなく、記録を精査してもそのような事実を裏付けるに足る資料は存しない。なお、司法警察員作成の検視調書によれば、被害者淳子が本件事故によつて頭から左下腿部に至るまで広範囲に受傷しているうえ、その部位は頭部及び上半身と胸部との二群に分れているので、鑑定人増井一郎作成の鑑定書のごとく大腿部の傷害は前輪によるものであり、頭部及び上半身の傷害は後輪によるものであると推測されるおそれもないとはいえないが、被害者の転倒角度如何によつては左後車輪のみによつても、右のごとく、広範囲にわたり傷害が生ずる可能性もないとはいえず<証拠>、また、仮りに、頭部の傷害との間に傷害のない部分があつたとしても、必ずしも前輪及び後輪によつて轢過されたものとは断定しがたいうえ、前記頭部から左下腿部にかけての各傷害が頭を本件バスの進行方向に対し、左前方に位置して転倒した被害者を本件バスの左前車輪によつて轢過することによつて発生しうるものとはにわかに断定しがたい。以上に検討したところを総合して考察すると、被害者淳子は本件バスの左前部に接触して転倒し、左前車輪で轢過されたものとは認めがたい。ところで、鑑定人増井一郎は、その作成した鑑定書中及び証人として当審公判廷において、被告人が発車後間もなく聞いた「どん」という音は緩衝装置のある前車輪が被害者を轢過し、再び地面に落ちたときのものであると述べているが、それは被害者が本件バスの左前部に接触して左前車輪で轢過された事実を前提とする推測に過ぎないものであつて、前記のごとく、被害者が本件バスの左前部に接触して左前車輪で轢過された事実を認めうる資料が他に存しない以上、被告人が発車後間もなく「どん」という音を聞いた事実のみをもつて、被害者が左前車輪で轢過されたときの音であると断定することはできない。况んや被告人は、司法警察員に対する昭和四一年九月七日付供述調書及び当審公判廷において、「どん」という音はしたが、別段ハンドルや体にショックは感じなかつた旨の供述をしているし、司法警察員に対する昭和四一年九月八日付供述調書においては、衝突音である旨の供述をし、当審公判廷においては自動車のボディにあたつたような音であつた旨の供述をしているのであるから、なおさらである。なお、歩行または佇立していた被害者淳子が左へ転回している本件バスの車体左側面によつて押し倒されて、左後車輪によつて轢過されたのではないか、とも一応考えられるのであるが、証人増井一郎の当審における証言によると、そのような場合においては、被害者はバスの進行方向に対し左方に頭を向けて転倒し、受傷の範囲も下脚部等にとどまるのが通常であると考えられるところ、被害者淳子の転倒していた角度に関する押谷達弘、同久子及び被告人の前記各供述によつても被害者淳子がバスの進行方向に対し左方に頭を向けて転倒したことを裏付けるものがないうえ、司法警察員作成の検視調書によると、被害者淳子は本件事故により頭部から左下腿部に至るまで広範囲に挫傷ないし内出血の受傷していることが認められるのであるから、被害者淳子は、本件バスの車体左側面によつて押し倒されて左後車輪によつて轢過されたものとは認めがたい。してみれば、結局、被害者淳子が母久子に手を引かれて本件横断歩道を横断し始めたのち、本件バスの左前車輪と左後車輪の間に転倒していたときまでの間の同幼児の行動ないし同幼児と本件バスの車体との接触の有無及び接触があつたとすればその個所等の諸点については、これを明認しえないものといわなければならない。ところで、通常の場合には、進行している自動車の下に人が潜り込むということは到底考えることができないのであるが、本件においては被害者淳子が当時四才の幼児であつたことを考えると、同幼児が、何か大切にしている物を落し、その物が地上を転々として本件バスの下方に入る等の事情により、夢中となつて突然自ら本件バスの左前車輪と左後車輪の間に潜り込んだのではないかという疑も全くこれを否定することはできないのであつて、そして、被告人が発進後間もなく聞いた「どん」という接触音は、被害者淳子が本件バスの下に潜り込む際、身体の一部が本件バスの車体に当つた音であるとも考えうるのである。もつとも、司法警察員作成の実況見分調書及び被告人の司法警察員に対する各供述調書によると、被告人は発進した直後、約1.9メートル前進したとき、「どん」という音を聞いた旨の指示説明ないし供述をしているのであるが、<証拠>によれば、被害者淳子が転倒していたのは、本件横断歩道上の東寄りの部分であつたことが認められるのであるから、もし被告人の聞いた「どん」という音が被害者淳子が本件バスの前車輪と後車輪の間に潜り込んだときのものであるとすれば、被告人はもう少し前進した地点で右の音を聞かなければならないことになるのである。そうだとすれば、被告人の前記指示説明及び供述と矛盾することになるが、被告人の前記指示説明及び供述中の発進後約1.9メートルという距離は必ずしも正確なものとはいいがたく、勘違い等に基くものであるとも考えられるのであるから、右の程度の矛盾は末だ被害者淳子が本件バスの下に潜り込んだとの疑を否定し去るには十分でない。また、司法警察員作成の検視調書によれば、被害者淳子の傷害は身体の背面にはなく、側面ないし前面のみに存することが認められ、被害者淳子が本件バスの下に潜り込んだということと矛盾するようであるが、被害者淳子が本件バスの下に潜り込んだ際に、本件バスの車体下部付近と接触して、身体が横ないし上に向きを変えるということもないとはいえないのであるから、この点もまた被害者淳子が本件バスの下に潜り込んだとの疑を否定するに十分なものとはいえない。しかしながら、被害者淳子が本件バスの下に潜り込んだとしても、被告人が「どん」という音を聞いたときに、直ちに急停止の措置を講じていたならば、本件事故を避けえたのではないかとも一応は考えうるのであるが、被告人の司法警察員に対する昭和四一年九月七日付供述調書及び被告人の当審における供述によれば、被告人は「どん」という音を聞いたが、それは余り大きくない音であつたし、別段ハンドルや身体にもショックを感じなかつたし、バックミラーを見たが何も見えなかつたので、そのまま前進したところ「きやー」という声と「停めて」という声が聞えたので急停止したが、間に合わなかつたというのであつて、右のような場合、自動車運転者としては、「どん」という音が如何なる原因によつて生じたものであるかを確認するため直ちに停車して、自動車から降り、自動車周辺の安全を確認すべき義務があるとは必ずしもいえないのみならず、本件の場合被告人が右「どん」という音を聞いて直ちに急停止の措置を講じていたとしても、果して被害者淳子の轢過を避けえたかについてはこれを確認すべき資料は存在しない。

以上、考察したところによると、被害者淳子が自ら突然本件バスの左前車輪の間に潜り込んだのではないかという疑を否定し去ることができないのであつて、本件事故は不可抗力の疑があり、被告人の本件横断歩道東側発進時における安全確認義務懈怠と被害者淳子の轢過との間には因果関係を欠く疑があつて、結局、本件公訴事実は、被告人に被害者淳子の轢過の原因となるべき過失が存するとの点について証明が十分でないので、無罪の言渡をなすべきものといわなければならない。(奥戸新三 佐古田英郎 梨岡輝彦)

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